風起源の内部波エネルギーフラックスの全球分布

海洋の中・深層における鉛直乱流混合過程は、深層海洋大循環を駆動する重要な物理過程の一つと考えられてきました。 Munk and Wunsch (1998)以来、現実的な深層循環流量とそれに伴う深層の密度成層を維持するためには、毎秒約2.1 TWのエネルギーが深海の乱流混合過程へと供給されることが必要であり、その主要なエネルギー源は潮汐と風応力擾乱であると考えられてきました。 この2つのエネルギー供給源候補のうち、風応力擾乱については特に理解が進んでいませんでした。 すなわち、風応力擾乱から深層乱流へと供給されるエネルギーが実際にどの程度に達するのか、また、その時空間変動がどうなっているのかはまったくわかっていませんでした。

私たちは、まず、スラブモデルと呼ばれるシンプルな数値モデルを用いて、風応力から海洋表層(混合層)の近慣性内部波へと供給されるエネルギーとその時空間分布を見積もりました(図1)。 南北両半球とも、それぞれの半球の冬季に、緯度30度より高緯度側で大きなエネルギー供給が生じていることが見て取れます。 これは、冬季には発達した温帯低気圧が頻繁に中緯度ジェットを通過することに伴うものです。 また、北半球では、秋季にも北太平洋西部の北緯20度付近で活発に近慣性内部波が励起されていることがわかります。 これは台風の通過によるものです。 そして年平均では、風応力から近慣性内部波へ供給されるエネルギーは全球で約0.6 TWと見積もられました。 この値は、潮汐から供給されるエネルギー約0.9 TWと同程度であり、また、深層循環の維持に必要なエネルギー約2.1 TWの1/3に達するものです(Watanabe and Hibiya, 2002)。

図1: 風応力擾乱によって表層の近慣性内部波へと供給される単位表面積あたりのエネルギーの全球分布。1989年から1995年までの7年間の平均で、各季節3か月間にわたる積分値を示している。

上に述べた見積もりは、あくまでも風応力から海洋「表層」の近慣性内部波へと供給されるエネルギーです。 このうちのどの程度が深層まで伝播して熱塩循環や密度成層の維持に寄与しているのかはさらに調べる必要があります。

そこで次に、より現実的な3次元数値モデルを用いた全球シミュレーションによってこの点を明らかにしました。 その結果、風応力によって励起される近慣性内部波エネルギーのうちの大部分、80%程度が表層150 m以浅で散逸してしまい、深海へと伝播するものごくわずかであることが示されました(図2)。 さらに、このように表層で散逸してしまう原因は、励起される内部波が主に群速度の小さな鉛直高次モードであるためであることもわかりました。

これらの結果から、風応力から深海乱流へのエネルギー供給率はせいぜい0.1 TW程度に過ぎないと見積もられます。 この値は、深層循環の維持に必要なエネルギーの見積もり約2.1 TWに比べて1オーダーも小さな値です。 潮汐起源のエネルギー供給と合計しても約1.0 TWにとどまり、現実的な深層循環を維持するには不十分です。 本研究の結果は、潮汐と風応力以外に深海乱流混合へのエネルギー供給源が存在するか、あるいは、深層循環が鉛直乱流混合以外の物理メカニズムによって駆動されているか、どちらかの可能性を示唆するものです(Furuichi et al., 2008)。

図2: 各海域、各深度区域でのエネルギー収支の年平均値。(a)表層の近慣性内部波へのエネルギー供給率。(b)表層150 m内のエネルギー散逸率の積分値。(c)150 m深から海底までのエネルギー散逸率の積分値。(d)1000 m深から海底までのエネルギー散逸率の積分値((c)の内数)。(e)各断面を横切る赤道方向への水平エネルギーフラックスの経度・深度積分値。各海域へのエネルギー供給率に対する割合もあわせて示す。