千島列島海域における乱流混合とその気候変動への影響
世界中のほとんどの海洋において、最も強い潮汐は半日周期のものです。 そのような中で、北太平洋とオホーツク海とを隔てる千島列島海域(クリル海峡)は、一日周期の潮汐(日周潮)が卓越する特異的な海域として知られています。 この強い日周潮流が急峻な海底地形にぶつかることで、千島列島海域では強い鉛直乱流混合が生じています。 こうして引き起こされた鉛直混合は、オホーツク海や北太平洋の中層に広く分布する水塊の形成・輸送や、北太平洋の熱塩循環の維持に重要な役割を果たしていると考えられてきました。 さらに近年では、18.6年周期潮汐変調を通じて、北太平洋の十年規模気候変動にも影響を及ぼす可能性が提唱されています。 千島列島海域の鉛直混合がこのような大規模海洋・気候現象に及ぼす影響を定量的に議論するためには、この海域における鉛直拡散係数の正確な空間分布を知ることが不可欠です。 しかしながら、これまで空間分布どころかその平均的なオーダーさえもよくわかっていませんでした。
北太平洋からオホーツク海へと流入する外部潮汐波(海面変位として表れる潮汐)は、千島列島海域を通過する際に海底地形にぶつかることで内部潮汐波(海面変位に表れない潮汐)へと変換され、そのエネルギーを失います。 このことは、オホーツク海内部の潮位場形成に大きな影響を与えています。 私たちは、まずこの点に着目し、衛星海面高度計データと合致するような潮位場を数値モデル内で再現することを通じて、外部潮汐波から内部潮汐波へのエネルギー変換率を見積もりました(Tanaka et al., 2007)。
次に、励起される内部潮汐波の伝播および散逸特性を、高解像度の3次元数値モデルを用いて調べました。 その結果、千島列島海域では日周潮周波数が慣性周波数以下となるために、励起される内部波は地形に捕捉されたものとなり、島の周りを時計回りに伝播しながらほぼすべて海峡内で散逸することが示されました(図1)。 さらに、地形性捕捉波は海底近くに強い流速鉛直シアーを作ることで、強混合域を形成することが明らかになりました(Tanaka et al., 2010a)。 これらの結果を合わせることで、本海域全体で平均した鉛直拡散係数は約25 cm2 s-1に達すると見積もられました(図2)。
図1: 海面での日周潮流速。沿岸捕捉波が各島の周りを時計回りに伝播する様子が見て取れる。
図2: 見積もられた鉛直拡散係数の分布。
このように主に数値実験に基づいて予測された日周潮汐起源の地形性捕捉波とそれに伴う中・深層での強い乱流混合の存在は、ロシア船を利用した観測からも確かめることができました(Tanaka et al., 2013, submitted)。 図3はその一例で、海峡内にそびえる海山を囲む3点で観測された日周期等密度面変動の鉛直プロファイルです。 地形性捕捉波の振幅が大きくなる深層およそ1000 m以深での位相に着目すると、時計回り順に遅れていっていることがわかります。 この位相差はちょうど地形性捕捉波の伝播によって説明可能なものでした。
図3: (上)千島列島の地形図。×印が観測点を表す。(下)各観測点における日周期等密度面変動の鉛直プロファイル。実線が振幅、波線が位相を表す。
北太平洋中層の水深500 m付近には、北太平洋中層水と呼ばれる鉛直方向に見たときの塩分極小で特徴づけられる水塊が広がっています。 この水塊は、これまでの低解像度海洋大循環モデルでは、千島列島海域全域で200 cm2 s-1のような非現実的に大きな鉛直拡散係数を仮定することで再現できることが知られていました。 この事実は、北太平洋中層水の形成には千島列島海域での強い鉛直混合が不可欠であることを示すものと長く信じられてきました。 しかしながら、私たちは、渦許容海洋大循環モデルを用いて黒潮-親潮混合域の中規模渦を再現すれば、上のように見積もられたより現実的な、1オーダー小さな鉛直拡散係数であっても、十分現実的に北太平洋中層水を再現できることを示しました(図4)。 この結果は、海洋大循環モデルにおいて鉛直拡散係数を単なるチューニングパラメータのように扱ってしまいがちな海洋物理学の現状に対して警鐘を鳴らす極めて重要な知見と言えます(Tanaka et al., 2010b)。
図4: 北太平洋における塩分の分布。(上段)東経165度に沿っての鉛直断面図。(下段)密度26.8σθ面上での水平分布。(左列)観測値。(右列)図2の鉛直拡散係数を与えた数値モデルの結果。
日周潮起源の鉛直乱流混合は、地球に対する月の軌道傾斜角が18.6年周期で振動することに伴って、強い変調を受けることが知られています。 そこで最後に、千島列島海域における鉛直乱流混合強度の18.6年周期変動が、気候変動にどのような影響を及ぼすのかを、大気海洋結合モデルを用いて調べました。 その結果、北太平洋十年規模変動と呼ばれる北太平洋で最も顕著な気候変動モードに酷似した海面水温偏差のパターンが黒潮-親潮続流域に現れることが示されました(図5a)。 詳細な解析の結果、この水温偏差は、まず、強い鉛直混合が存在する千島列島周辺での流速偏差によって励起され、その後、中緯度域の大気海洋相互作用によって増幅されていることがわかりました(図6, Tanaka et al., 2012)。 実際、海洋の変動と同期して、大気場の方にも18.6年周期変動が現れていました(図5b)。
図5: 潮汐混合が強い期間と弱い期間とでの、(a)年平均海面水温と(b)冬季平均海面気圧の差。コンターは長期平均を表す。
図6: 潮汐混合の18.6年周期変動が北太平洋の気候変動を引き起こす物理機構をまとめた模式図。