マルチスケールプロファイラーを用いた既存の乱流パラメタリゼーション式の有効性の検証
乱流混合は1 m以下という非常に小さなスケールで生じる現象であるため、これを直接観測するためには特殊な測器が必要です。 その上、観測には長い時間がかかってしまいます。 そこで、より容易に観測できるファインスケール(鉛直10 mスケール)の物理量に基づいてマイクロスケール(鉛直1 m以下のスケール)の乱流散逸率εを見積もるパラメタリゼーションの式が広く利用されています。 これらの式においては、乱流散逸率ε、海洋内部重力波場のエネルギーレベルE、浮力周波数Nをε~E2N2で関係づけるとともに、Garrett and Munk (1972, 1975)によって定式化された普遍平衡内部波スペクトル(以下、GMスペクトル)と相似形を保ちながらEを変化させる内部波スペクトルの存在が仮定されています。 この仮定の下で、水平流速の鉛直シアーのみからEを見積るGregg (1989, 以下G89)の式や、鉛直ストレインのみからEを見積るWijesekera et al. (1993, 以下W93)の式が提案されてきました。 しかしながら、鉛直乱流拡散強度のグローバル分布を解明する上で重要となるハワイ海嶺や伊豆–小笠原海嶺のような顕著な乱流ホットスポットの近傍では、代表的な3波共鳴機構であるparametric subharmonic instabilityによって、内部波スペクトルが低周波数方向に著しく歪み、GMスペクトルとの相似形が崩れてしまうことが明らかにされています。 このような著しく歪んだ内部波場では、GMスペクトルとの相似形を前提とするG89やW93のパラメタリゼーションをそのまま適用することはできません。 そこで、Polzin et al. (1995)は、この内部波場の歪みを表す指標として、流速鉛直シアーと鉛直ストレインとの比を導入することでEを見積るパラメタリゼーションを提案しました(Gregg-Henyey-Polzinパラメタリゼーション、以下GHP)。
内部波場の歪みを考慮したこの乱流パラメタリゼーションの式の妥当性を検証するためには、マイクロスケールの乱流散逸率とファインスケールの流速鉛直シアー/鉛直ストレインとの同時観測が不可欠です。 しかしながら、これまで我が国にはこれら全ての物理量を深海で同時に観測できる測器はなく、主に西部北太平洋の我が国近海に多数存在する乱流ホットスポット近傍のような著しく歪んだ内部波場において、その歪みを考慮したGHPパラメタリゼーションの式がどの程度の有効性を持っているのかは検証されていませんでした。 そこで私たちは、乱流ホットスポットの近傍海域における内部波スペクトルが実際にGMスペクトルからどの程度歪んでいるのか、そして、内部波場の歪みを考慮した乱流パラメタリゼーションの式が実際に有効なのかどうかを検証することを目的として、超深海用マイクロスケール・プロファイラーVMP–5500(カナダRockland社製)に電磁流速計Geo–Electric Meter (GEM)とCTDセンサーを取り付けた、我が国初の深海用「マルチスケール・プロファイラー」を新たに導入し(図1)、乱流ホットスポット域を含む北太平洋の広い海域で観測を展開してきました。
私たちは、内部波場の歪みを表す新たな指標として、内部波スペクトルの高周波数領域および低周波数領域のGMスペクトルに対する比α, βを導入することで、それぞれの乱流パラメタリゼーションの有効性と内部波場の歪みとの関係を定量的に議論しました(Hibiya et al., 2012)。 その結果、ファインスケールの「鉛直シアー」または「鉛直ストレイン」だけに基づく従来の乱流パラメタリゼーションG89, W93は、標準的なGMスペクトルから歪んだ内部波スペクトルを持つ海域において、乱流強度を著しく過大評価または過小評価してしまうことがわかりました。 これに対して、内部波場の歪みを考慮したパラメタリゼーションであるGHPは、従来のパラメタリゼーションでのバイアスを大きく減少できることが明らかとなりました(図2)。
図1: 測器の全体像。奥がVMP-5500単体で、手前がVMP-5500にGEMを取り付けたマルチスケール・プロファイラー。VMP–5500の下端部にはマイクロスケールの流速鉛直シアーを測定するシアーセンサー、GEMの側面にはファインスケールのそれを測定する電極がそれぞれ取り付けられている。また、ファインスケールの鉛直ストレインを測定するCTDセンサーは矢印が示す場所に取り付けられる。
図2: 内部波場の「歪み」を表す指標α, βの関数として表されたエネルギー散逸率。(a)乱流計VMP-5500で測定された真のエネルギー散逸率。(b)鉛直シアーだけに基づくパラメタリゼーションG89によって見積もられたエネルギー散逸率。(c)鉛直ストレインだけに基づくパラメタリゼーションW93によって見積もられたエネルギー散逸率。(d)鉛直シアーと鉛直ストレインの両者を用いることで内部波場の歪みを考慮したパラメタリゼーションGHPによって見積もられたエネルギー散逸率。(b)-(d)の右上の各パネルは、各パラメタリゼーションで見積もられたエネルギー散逸率の、乱流計によって測定された真のエネルギー散逸率(a)に対する比を表す。GHPでは、G89やW93による過大評価、過小評価が大幅に改善されていることがわかる。