蒸し返す。
先日大貫さんの紹介で Tailleux の海洋のエネルギー論を読んだ。海水を浅いほうに持ち上げたり深いほうに押し下げたりすると、重力の中にあるから当然「重力の位置エネルギー」が変化する。海水の場合まわりに海水が必ずあるわけで、つまり圧力が変化するわけで、それによって(微小ながら)体積が変化するので熱力学のいうところの仕事 PΔV
が「内部エネルギー」の変化を引き起こす。Tailleux (2009) はこれをきっちり分けたうえで、後者をエクセルギーとそれ以外にわけて議論をする。ところが一方で、海水を深さ方向に移動させたときの位置エネルギーと内部エネルギーの変化は必ず同時におこるのだからまとめてエンタルピーがええやろという議論もある。これはどちらが正しいかという議論ではなくてどちらが「分かりやすいか」という議論ではないのか。Tailleux は分けたほうが分かりやすいと言っていて、Young (2010) はいっしょが分かりやすい、と。個人的には後者に一票。主観的に。
これで思い出したが、2000 年頃に JEBAR という考え方が流行った。これも鉛直平均という操作を行った結果現れるものだから物理的実体があるといえるのかどうかとか、そもそも理解の役に立っとるんかい?というつっこみもあって、JEBAR 派が反論したり(続きもある)と(少なくとも身の回りでは)盛り上がっていた。これも JEBAR を使うと「分かりやすい」という人とぜんぜん分かりやすくなっていないという人の議論のような。
むかし書いたのだが、形状抵抗なんて怪しいものを持ち出すなという Warren et al. (1986) の主張は実は運動量の保存と質量の保存とどちらを起点として議論するかの違いだと思ふ。本来両者は独立した別物なのだが、地衡流なもんで体積のフラックスと運動量の変化がリンクしてしまう。不正確ながら印象で語れば運動量保存と質量保存と地衡流のみっつのうちふたつが独立な状況でどのふたつからひとつを演繹するかえらべという感じ。これはあんまり自明ではなくて結局これも俺はこれが分かりやすいと思うといっているだけではないか、と。ちなみに反論がふたつあってちゃんとそれぞれに返答もあるが収束していない感がいとをかし。
三角関数は「分かる」けどベッセル関数は分かりにくいとか。じゃあ超幾何関数は「分かる」のか、MacRobert の E 関数は、とか。何がどうなっていれば「分かる」のか。将来予測ができれば「分かった」ことになるのか、とか。