結果か過程か




12 Sep 2022

東西文化論で、武満

日本の音楽の場合、一つの音というものが非常に大事で、その一つの音の中にいろいろなものを聴いたりする

例えばいまピアノで、ドの音をひとつポンと鳴らしても、別段何の意味もありませんが、次に別の音が来て、更に別の音が連続し、そうした弁証法的な展開から西欧的音楽表現が生まれます

を対比させている(立花隆の本から孫引き)。またコテンラジオ #273 で深井さんらが、日本人の「戦略で負けているのに頑張って何とかしようとする」メンタリティを指摘している。

西洋人は電話会議を比較的気軽にサボる。面と向かって聞いたわけではないが「結果として会議が進行して結論が出てればよい」からだと思う。結論に絡みそうもない人はサボる。日本人は律義に出席する。べつに大した発言をするわけでもないのだが。

「結果を出すこと」が目的だったら西洋人の合理性に分がある。音楽は流れる建築であるべきで、フェルマータの後に譜面から立ち上がる伽藍が聞き手の上に建たねばいけない。でも「かかわっている人が幸せを感じること」が目的だったら和風になるのではないか。宵越しの金は持たない気風(きっぷ)。「さわり」をもつ琵琶の一撃。結果がダメでもいまの頑張り。会議は結論より途中の議論の盛り上がり。科学は結論にしか意味がないから西洋型のほうがよいに決まってる。確信犯。