松岡正剛さんが亡くなった。 実はどんな人だかよくは知らないのだが、千夜千冊 はよく検索に引っかかるしよく読む。 彼の『フラジャイル』という本は永久保存棚に入っている。 弱さというか脆さというか、そういう状態に松岡さんが寄せる思いと固有名詞がてんこ盛りの本。
これを再読していてふと思った。
科学の目的はふたつという考えを支持する。 ひとつは将来予測で、もうひとつは世の中を説明して怖いものを減らすこと。 最近つらつらと実感するのだが、「怖い」とはパーソナルスペースが侵襲されること。 パーソナルスペースをどう定義するかといえば「ここまで入ってこられると怖いところ」だからどうにも同語反復なのだが。
で、そのスペースに分かっているものが入ってくるのは対策のしようもあろうからそう怖くない。雷がなっていれば避雷すればいい。 知らないものが入ってくるのが怖い。科学はそれを説明してくれる。雲の上の鬼が太鼓をたたいているのではなくて雲にたまった電気が 空気を引き裂いて通電しているだけ。 科学がこの説明に優れているのは科学はその「結論」から属人性をとことん取り除いてくれるからであろう。「過程」はあんがい属人的。 なんといっても一番得体の知れない怖い侵襲物は人間だから! 誰がやっても同じ結果が出る。特定の個人しか作れない細胞は科学的ではない所以。 というわけで科学はフラジャイルな臆病者と相性が良いという感想。