同窓会みたいなもんでほぼ同い歳の現地人と話をする機会があった。二人とも学者稼業から足を洗っていることもあって「部下」というものがいるそうな。で、これを採用する苦労話。いちおうどっか大学(Micky Mouse University と呼んでた)の経営学修士を持っているはずなのに、旅費計算させると平気で米ドルと欧ユーロをそのまま足し算する。ほんまかいな。で、レート教えて両方米ドルにして足すんだよと教えると、$2=€1 などという豪快な計算をする。しょうがないからお引き取り願って、結局その辺りの普通の大卒を雇っていろいろ教えるのが一番早い、という。
「誠実であること」が一番大事なんだよね、という結論。分からないときは「分からない」と質問してくれれば良くて、目茶苦茶やって知らんぷりして出されても困る、と。確かにごく一握りの仕事を除いてほとんどの仕事は教えて学んでくれれば出来ることだから、華々しい履歴書があって「即戦力」になるよりも真面目で仕事を覚えてくれる方がいい、と。これって日本風に新卒(でなくてもいいが)の面接でソツのない人を取ってあとは仕事覚えてもらうというやり方が良いということ?
なんだかツイッタ方面によると公募に落ちるたびに公募先を晒すという示威行為を取っている人が居るらしい。確かにアカデミアは、とくに米国のそれは実力主義・業績主義だから実力に差があるのに落ちるのは不公平と考えるのだろう。ところが日本風就職は「同僚選び」の側面も大きいわけで、はたして落ちるたびに SNS に吠える様な人と一緒に仕事したいだろうか。
そんなことをしとるから日本の研究は駄目なのだという指摘は一理あるが、そもそも日本の研究はハナから世界一など目指していないのではないか。何をするにも関わる人数が多いし効率が悪い。オンラインで 5 分で提出可能な書類をわざわざ申込書を紙で出して手書きで署名して郵送する。おそらく人類の知識を進展させるよりは出来るだけ多くの人がそこそこ幸せになるような利益の配分を目指しているのでは。
最大多数の最大幸福という意味では(短期的には)これが悪いとは言い切れない。少なくともヒロイズム蔓延する米国では悪いことだろうが日本では案外悪くないような気もする。個人的にはイグノーベル賞が取れている限り日本のアカデミアは大丈夫と思っている。