前回英語があまり上手くならなかったのは家で日本語をしゃべっていたせいと思っていた。だから今回は英語がもそっと上手くなるんではないかと密かに期待していたが三ヶ月経たんとする今その期待は裏切られたと言っていい。
ある日ぼーっとブラウジングしていると「ネイティブと一対一で話すときは相手の言うことが分かるのだが、ネイティブ同士が話し出すと突然分からなくなる」という広告が目についた。これってまさに自分の状況だからこれはいいかも、と思って例題をやってみたらなんてこたないほぼ全部出来た。
今日もあるパーティーがあってまさに「ネイティブと云々」な状況だったわけだがこれは発音だけが原因ではないのではないか。勿論発音の問題は大きいしそういう人には上記の教材は有効だろうと思う。しかしそれだけではない。
会話をする時は会話の「流れ」というものがあって、相手の話を聞く時はその「流れ」からあまりかけ離れたことを言わないという暗黙の了解の元で相手の話を聞く。そういう時無意識に「話し手の言いそうなこと」が聞き手の頭の中にあって、会話を聞き取るとは一から単語を全て聞き取るのではなくて相手の話す言葉から「キーワード」をひろって無意識にもっている「話し手の言いそうな文集」から選んでいる、あるいはその例文を訂正しながら理解するような感じなのではないか。「昨日」「駐禁」/ 「どこ」/ 「 〇〇ストリートの端っこ」/「夕方よく切符切ってる」みたいになんとなくキーワードだけで会話はできそう。これを日本語で完全な会話にするのは例えば「中年女性二人の会話」とか「免許取り立ての大学生とその父親の会話」とか状況を設定すればいくらでも作文できる。ところが英語で yesterday, parking fine / where / end of OO street / often inspected in evening から自然な英語の会話を再現できるほどの「文集」が無い。かくして言っていることの端から端まで聞こえないとよく分からない。でも上記の広告の通り普通の会話では全部は言っていない。ではキーワードだけ取れてればいいだろうと思うがどこがキーワードがどこか今ひとつ分かっていない。やはり文章が取れていないから?
つまりこちらの頭の中の「例文」が少なすぎるのではないか。「キオスクで新聞を買って 200 円置いて釣りはいらないと立ち去ろうとしたら実は競馬新聞で 200 円では足りなかった」みたいなシーンの会話を自然な英語で作文できるか。これが出来ないとこういう会話にはついていけないんじゃないか。
結局は場面場面での自然な英語のといった意味の「語彙」不足でやはり語学はボキャブラリの問題なのだなあと。となると三ヶ月くらいの即効性のある解決法は無くて三年くらいかけてみっちりと例文を増やしていくしかないのではないか。やれやれ。