Wunsch の最新の教科書が面白すぎる。なんとなく観測屋が日々考えていたことをずばずば言ってる。以下序章の一部の私訳。
理論の教科書を書く魅力というのは単純だ。こんな具合「その動きは a より長く b より短い周期をもち、c より長く d より短い長さスケールを持つと仮定する。線形で静水圧近似を導入する。海底は平らなものとする云々。これらの仮定のもと支配方程式は...」この先に完全でエレガントな演繹が続く。これとは違って、観測結果の理解にはこの種の理論に加えてもっと多くのことを考える必要がある。観測結果は本当に a 以上 b 以下の周期なり c 以上 d 以下の広がりを持つのか。海底地形は平らとみなしていいのか。そもそも線形は?静水圧は?データのノイズはいかほどか(かならず観測にはノイズがある)。ノイズは無視できるのかノイズだらけなのか。だいたいの場合、美しい理論は観測の一部分を説明するが全部ということはない。ではどの部分が理論とあっていてあっていない部分はどう解釈するのか。
最近の日記に書いたのはまさにこれ。観測技術の進歩とともに単純モデルのあってなさが強調されるという。でも単純モデルで説明しないと分かった気がしない。
ここ数年「単なる仮説」やら「観測と整合性をチェックしていないモデルの結果の描写あるいは正当化」と「科学的事実」を見分けるという問題を厄介にする要素が増えてきた。気候システムに影響を与える海洋の物理の多くは「遅い」。つまり 100 年とか 1000 年という時間スケールの話となる。こんな長期間の観測はほとんど無い。気候変動への注目とその結果のタブロイド系科学雑誌(Nature やら Science やら、その自称ライバル誌とかその尻馬に乗るメディアとか)の隆盛をみるに、ほとんど推測に過ぎないお話つくりとか観測データの超絶拡大解釈が目立つようになったばかりか科学を駄目にしている例も出てきた。
具体的にどんな事情があったかは彼のウェブサイトとか最近の総説なんかを読むと想像できるが、とにもかくにも痛快爽快であるよ。自然はぜんぜん分かりやすくない。