あなたはいかなる像も造ってはならない(Exod20.4, Lev26,1)。あなたはそれらに向かってひれ伏したりそれらに仕えたりしてはならない(Exod20.5)。
と旧約にある点だが、
そこで、偶像に供えられた肉を食べることについてですが、世の中に偶像の神などはなく、また、唯一の神以外にいかなる神もいないことを、わたしたちは知っています(1Cor8.4)。しかし、この知識がだれにでもあるわけではありません。ある人たちは、今までの偶像になじんできた習慣にとらわれて、肉を食べる際に、それが偶像にそなえられた肉だということが念頭に去らず、良心が弱いために汚されるのです(1Cor8.7)。わたしたちを神のもとに導くのは、食物ではありません。食べないからといって、何かを失うわけではなく、食べたからといって、何かを得るわけではありません(1Cor8.8)。
とある通り新約のもとでは「良心」の問題であろう。
「すべてのことが許されている。」しかし、すべてのことが益になるわけではない。「すべてのことが許されている。」しかし、すべてのことがわたしたちを造り上げるわけではない。だれでも、自分の利益ではなく他人の利益を追い求めなさい(1Cor10.23, 24)。
さらに具体的には、
市場で売っているものは、良心の問題としていちいち詮索せず、何でも食べなさい。「地とそこに満ちているものは、主のもの(Ps 24.1)」だからです。あなたがたが、信仰を持っていない人から招待され、それに応じる場合、自分の前に出されるものは、良心の問題としていちいち詮索せず、何でも食べなさい(1Cor10.27)。
ということで、可能と判断。こんな感じ。もし罪ならばあまんじて罰を受けるべし。