ダイポールモードと今年の夏

(聞き手:某記者、受け手:山形 俊男)
 
 
――― この夏はダイポールモードが流行語になりましたね。

インド洋のエルニーニョ現象ともいうべきダイポールモード現象の存在が見つかってまだ2年にもなりません。しかし、日本に猛暑をもたらす現象であることが最近明らかになってきて、この夏の異常な暑さで一気に流行語のようになってしまいました。道をあるいていても前を行く方がダイポールモードの話をしていたりして、マスメデイアの力にはただただ驚くばかりです。これを契機に日々のお天気予報と地球規模の気候研究との関連について、正しい知識を持っていただけると有難いと思っています。

――― ダイポールモードについて簡単に説明してください。

5月頃ですが、ジャワ島やオーストラリアの西側を南東方向から吹いてくる貿易風が普段より強まり、赤道を越えて北半球まで侵入することがあります。そうするとインド洋の東側で赤道に沿って東から西に向かう風の成分が生じて東の暖かな海水を西側に運びます。このプロセスには赤道を少し離れたところを西進する海洋ロスビー波というものが絡みます。5月はちょうどモンスーンの休止期にあたり、通常の年は赤道上を吹く西風が吉田―ウイルトウキ ジェットという東向きの海流を1ヶ月間だけ励起するのですが、先に述べた南東貿易風が強い時には、この逆風のためにあまり成長できません。この海流の状態を見てダイポールモードが起きるかどうかおおよその目安をつけることができます。

さて、インド洋の西方に蓄積される暖かな海水のところは海洋の深いところからの水の取りこみの効果が弱まって、海面水温も上昇します。この暖かな海水の上空には積雲活動が活発化し、上昇気流が強められます。そうするとますますここに吹き込む東風が強まり、暖かな海水を一層蓄積するようになります。そうすると海面水温もさらに上昇し、連鎖反応のようにして積雲活動の活発な海域がインド洋の中央部から西部にかけて広がります。これまでの統計からは10月頃に最盛期になるようです。このころには暖かな海水や積雲活動の活発な地域はケニヤの近くにまで及びます。ビクトリア湖周辺(白ナイルの上流)などに大雨をもたらすことも多いようです。それでイーストサイド物語との関係に関心があるのですが、次回の話題としておきましょう。ダイポールモードが発生するとインド洋の東部からインドネシアにかけては乾燥し、ここを吹く風は海面から水蒸気を活発に補給されます。

赤道域のインド洋の西と東で海面水温、水位や積雲活動は西高東低という二極化が進みますからダイポールモードとかインド洋のダイポールなどと呼ぶようにしました。エルニーニョと同様に現象には名前がないと研究を進めにくいですから、いまではこの名前は国際的にかなり普及して来ました。

研究を進めれば進めるほど、ダイポールモードはエルニーニョと同じくらい、いやアジア、アフリカにはエルニーニョ以上に重要な現象ではないかと思えるようになりました。しかし、なにせ発見からまだ2年程度しか経っていません。エルニーニョの研究は100年以上の研究史があるのです。それで、この新しい結果を受け入れようとしない研究者、受け入れても既に発見していたという研究者などが次々に現れて国際会議や関連学術論文の出版では結構大変でした。しかしこうした偏見も徐々に消えてきて、各国の研究者もいろいろな方向に研究を発展させ始めています。最近のニュースはオーストラリアの研究者がスマトラ島のサンゴの化石と酸素同位体分析から5000年前に遡るダイポールモード現象の時系列を作成したことです。ダイポールモードと大気のオゾン量の変動との関連については、最近、我が国の大気化学の研究者らがサイエンス誌に発表しました。

――― ネイチャー誌に発表された最初の論文ではダイポールモードの指標として
東西の海面水温差を使っていますが・・・

長期間のデータとして利用できるのはやはり海面水温データということになります。太平洋のエルニーニョ現象は大気変動を通してインド洋にも影響を及ぼしますが、この効果は全体的に風系を弱めるためにインド洋のほぼ全域で高温化する方向に働きます。この効果を抜き去り、ダイポールモードの特徴を捉えるためにインド洋の西の広い海域の平均海面水温と東の広い海域の平均海面水温の差を指標としました。ダイポールモードは5月くらいから徐々に空間的な広がりも変化して行きますから、個々のケースを見るとかなりその発展にばらつきが見られます。エルニーニョについて大きくは括れても、個々については多様な個性があるのと同じです。この指標についてはまだまだ研究段階にあり、まだ現業的に使うには至っていないというべきでしょう。

ダイポールモードの本質はインド洋の海洋現象と大気現象が絡んだ大気海洋結合モードにありますから、指標としては海洋貯熱量の差の方が良いかもしれません。しかしこれはインド洋観測ネットワークがないと難しいものです。ただ衛星で観測可能な海面水位はかなりこれを反映しますから、これでも良いでしょう。エルニーニョには大気側の南方振動指標というのがありますが、同じように大気の海面気圧の東西差も良い指標になることがわかりまた。積雲活動の活発さを表す<外向き長波放射の偏差>も良い指標になり得ます。ただ積雲活動は、より短期の変動を示しますから、月平均などをとらないと気候変動現象は見えてこないようです。

エルニーニョの研究からの教訓は気候研究では大気海洋の現象をトータルに捉えてゆくことが重要だということです。現象自体もさらに長いスケールの現象によって変調を受け、いわば進化します。これは基準値をどうするかということに影響します。目下、いろいろな物理量の指標を作成し、研究を進めているところです。

――― ダイポールモードのテレコネクション(遠隔地への影響)は日本の夏への影響などと関連して重要だと思うのですが、わかりやすく解説してください。

今年の三月にインドのニューデリーでモンスーンの国際会議があり、招聘されましたのでインド洋のダイポールと太平洋のエルニーニョの影響のインド洋における現れ方の違いや遠隔地への影響の違いについて講演しました。この結論は、順次、国際ジャーナルに発表しているところですが、それらについて簡単な解説を試みましょう。

ダイポールモード現象が起きると対流圏の東西の循環を変えるだけでなく子午面循環も変えます。大気大循環モデルのシミュレーションの結果ではフィリッピンからインドシナ、ベンガル湾北部、インド北部あたりの降水量を増やします。これはインド洋東部からインドネシア周辺の乾燥域で下降した気流が一部は北に向かい、ベンガル湾を中心とする地域で上昇するためのようです。通常はソマリア沖合いの冷たい湧昇域上空を北上しアラビア海を渡ってくる夏のモンスーンがインドに雨をもたらすわけですから、かなり降水域のパターンが変ります。

夏のモンスーンがインド全域にもたらす降水量の変動はエルニーニョ・南方振動現象に大きく影響されるとされて来ました。実際、南方振動の研究はインドの不順な夏のモンスーンによる飢饉に心を痛めたウォーカー卿とその同時代人が20世紀の初頭に始めたものです。ところが最近ではインドの夏のモンスーンによる降水量変動とエルニーニョ・南方振動はほとんど相関を示さないことが学界の話題になっています。これは私達の研究では、エルニーニョとは別のインド洋のダイポールが最近はよく発生し、インドに雨をもたらすためであることがわかりました。

さてインドから東南アジアの北部に雨をもたらし、そこで上昇した大気は北上し、華北から極東の広い範囲で降下するようです。この対流圏の高いところから降下する大気は丈の高い高気圧を形成します。これはチベット高気圧が北にずれ、東西にも伸びたといっても良いのかもしれません。ダイポールモードの指標から数学的にエルニーニョの影響を取り除いたものと地上気温や気圧の相関を取ると、この華北から極東海域において高い正の相関を示すことがわかりました。一方、エルニーニョ・南方振動の指標からダイポールの影響を取り除いたものとの相関を調べると、華北から極東、日本付近は負の値を示します。これは夏の高気圧が弱まり、冷夏の傾向になるということです。ダイポールのテレコネクションは冬の南半球にも顕著に現れます。こちらはオーストラリアや南米にかなりの影響を与えることが予備的な研究からわかりました。こうしたテレコネクションの力学構造は現在解析中ですが、今後ますます重要な研究に発展するでしょう。

――― さて今年の夏はどうだったのでしょうか?

5月に起きるべき東向き海流、すなわち吉田・ウイルトウキジェットはかなり弱かったようです。これは観測された風で海洋モデルを駆動した結果わかったことです。ダイポールモード現象の兆候があったことになります。6月には東インド洋では赤道に沿う東風が吹き、一方で西太平洋には西風のバーストがあったようです。インドではかなり雨が多く、良いモンスーンとなったということです。一方でオーストラリアのインド洋に面する地域では100年来の少雨となりました。7月の平均描像ではインド洋の中央部からすこし西部に広がったパッチ状の海域に水温の1−1.5度程度高い部分が見られ、その上空に外向き長波放射(OLR)の負の偏差が見られました。またこの付近に海面高度の高い海域が見られ、風の偏差にも東インド洋に東風成分が見られました。これらの状況を総合すると大気海洋結合現象としてのダイポールモード現象が起きていたといってよいと思います。この時期にはインドのボンベイなどでは洪水が起き、数百人が死亡したというニュースが入っています。一方でインドネシアのスマトラ、カリマンタン、ジャワなどは例年になく乾燥し、山火事や靄に悩まされたようです。7月平均のOLR偏差の図は極東を含むアジアのほぼ全域において1994年の状況と良く似ています。1994年の異常に暑い夏については、フィリッピン付近の積雲活動が活発で北よりであったためという報告がありますが、こうしたことの更なる源流の問題が見えてきたといってよいでしょう。

今回のインド洋の現象ではインドネシアのジャワ島付近に平均的なダイポールモードに現れるべき負の海面水温異常が見られません。したがって海面水温の偏差で定義したダイポールモード指標では現象は起きていないと判断する方がいるようです。しかし先にも述べましたようにダイポールモード現象の本質は大気海洋相互作用現象がインド洋の中央部から西部の赤道上に存在するかどうかですから、其の本来の意味において現象は存在しているといって良いと思います。テレコネクションについてはまだまだ研究段階ですが、これまでの統計解析から極東域の猛暑との関係はかなりはっきりしてきたと考えます。

――― 今年の夏は北極の影響もあったようですが・・・・

2000年−2001年の冬に北極振動のフェーズが変化したようです。これまで温暖傾向にあったものが、寒冷傾向に変りました。大気の質量の分布で言えばこれまで亜極域にあった質量のある部分が極域に移動したということです。北部太平洋で言えばアリューシャン低気圧が強化されたと言って良いでしょう。このために冬季の季節風は強く、北部北太平洋やオホーツク海は相当に冷えています。この影響でオホーツク高気圧が例年になく強い状態でした。この高気圧の変動に伴って寒気が時折関東地方にまで流れ込んだようです。この流れ込む寒気の丈は低く、コリオリの力の影響で山脈などを右に見てヤマセとして侵入しますから、東北の太平洋岸に冷害の恐れがあるわけです。

――― 日々の天候と地球規模の気候変動現象とは何らかの形で常に関係しているのですね。これからの我が国の取り組み方などについてどのように考えますか。

天気(weather)と気候(climate)とは密接に関係しています。前者は高気圧、低気圧の発達や減衰というせいぜい一週間程度の大気現象そのものを扱えばよいわけですが、後者は大気や海洋や海氷など構成要素間の相互関係を考慮してゆかねばなりません。長期予報となるともはや短期の気候変動予測といってよいものですから、様々な広域データを活用し、構成要素間の相互作用を総合的に判断する必要があります。それで一気に難しいものになるのです。この意味では、まだまだ多くの問題が研究段階にあるといってよいでしょう。

米国海洋大気庁では大気と海洋のモデルを用いた短期の気候変動予測については、自らの予測と共に様々な機関や大学の研究室の予測を並列に紹介しています。利用者は自己責任においてこれらを活用しています。一般に研究開発段階にあるものについては相互の情報交換や切磋琢磨を促し、よりよいものを国民に提供する姿勢が大切です。気候変動研究においてもこのような研究の多様性を重視することがもっとも大切に思います。

――― 今後のスケジュールは。

9月の末頃、北京の気候会議でダイポールモードについて行なってきた研究を紹介する予定です。特にインド洋内部の現象との関係について触れる予定です。次いで11月の中旬にオーストラリア気象局の招聘を受けましたのでより総合的な解説を行なうことにしています。12月の17、18日にはインド洋の海洋気候変動について、多くの関連研究者を海外からお招きし、東京で国際シンポジウムを地球フロンテイア研究システムの主催、日本気象学会、日本海洋学会、それに文部科学省の後援で行なう予定です。短期気候変動についての私達の理解がさらに進むことを願っています。