大気海洋科学大講座のトップ画像 (沖縄の空と海)

海洋大循環

日比谷 紀之

世界海洋を巡る海洋大循環は,その駆動力によって「風成大循環」と「熱塩大循環」とにわけられる。風成大循環は風と海面との摩擦により引き起こされ,陸地や海底地形によって区切られた大洋内で,閉じた水平循環として存在する。黒潮やメキシコ湾流などはこの風成大循環の一部分である。この風成大循環の影響がおよぶのは深度数百メートルより浅い部分に限られ,それ以下の深層領域には別の種類の海洋大循環が存在する。これが熱塩大循環とよばれるもので,海域による海水密度の違いが原因で生じる。

高緯度域の表層水は大気から強い冷却を受けるために密度が増加して沈降する。実際に,冷却された表層水が深層にまで沈降するような場所は,北大西洋のグリーンランド沖と南極のウェッデル海に限られていることがわかっている。この深層水は約1500年もの歳月をかけて世界海洋の底層や深層をゆっくりと満たしながら表層へと上昇(湧昇)し,表層を通って元の深層水形成域まで戻ることで,あたかもコンベアベルトのような鉛直循環を形成すると推察されている。この循環は,極域から低緯度域に向けて冷水を,低緯度域から極域に向けて暖水を運ぶため,温和な地球気候の実現とその維持に大きな役割を果たしていると考えられている。ところが,この沈み込んだ深層水が,どこで,どのようにして表層に戻っているのかは,いまだにあまりよくわかっていない。

それでも,この深層水の湧昇を引き起こす物理過程として現在もっとも有力と考えられているのが,意外にも,海洋中のミクロな(1cmスケール)渦の作用「鉛直乱流拡散」である。すなわち,日射で暖められた表層の水が鉛直乱流拡散によって少しずつ下方に混合し,その結果,暖められて軽くなった深層水が表層まで上昇してくるというシナリオである。この鉛直乱流拡散は,おもに,潮汐流が海嶺や海山列にぶつかることで励起されているので,このシナリオどおりだとすると,熱塩大循環は,潮汐,すなわち,「月」によって駆動されているといえるのかもしれない。地球が月という衛星をもっていなかったら,人類の生存を可能としたこの温和な気候は,はたして実現していたのだろうか?海洋における鉛直乱流拡散というミクロスケールの現象の解明が,熱塩大循環というグローバルスケールの現象の把握に本質的に重要である理由はここにある。理学系研究科・日比谷研究室では,長期気候変動の解明に不可欠な熱塩大循環モデルの高精度化に向け,現実の海洋における鉛直乱流拡散の実態を海洋観測と数値モデリングの両面から解明するべく研究を進めている。